ブルースを 12月 1日

ゆたたて かだたて わがねでごじゃりす〜
 こなだ、すんでまった、 ばさまも このごとば〜〜り しんぺして くたばてすまたの
  ななづのどき かきのぎがらおづて あだまぶづげだの わりござりすたおなや〜


仙台弁と言えると思います。 
デープなブルースを頭の中の伴奏にして、声に出して読んで見てもらえますか?  
しっくりと ブルーズに なると思います.


意味は
いくら言い聞かせても 分かってくれないんですよ。
この前 亡くなった お婆さまも この人の事を 最後まで心配してたんです。
七つの時に 柿の木から 落ちて 頭をぶつけたのが 悪かったのでしょうね。
こう言う意味になります.


これは、高校時代から通った 呑み屋のおばさんが、
(おばさんなんて呼んだら、大変でした。ママと呼ばされていました。)
ヤンチャな事をする 俺達に 良く言い聞かせていた言葉です.
お前らは ほんとに 柿の木から 落ちたんダベと言われていました.


今日は、そんな ママの話を させてもらおうかな.
ママの店の名は  ハッピー  広さ 2坪も有ったでしょうか?
6人も 入ったら 満員御礼のお店です。 
最初はきっと先輩のイシさん辺りに連れて行かれたんでしょう。


その頃は まだ、太平洋戦争に負けて 30年位です。戦争経験者が現役で隣に座ってたりするんです.
なんか俺達の冗談事が気に入らない事だってありますよね、酔っぱらいの戯言から つい 声を荒げて 『お前達の様な 若い奴を育てる為に 俺達は 戦争に行ったんじゃ無い』
なんて 真っ青な顔で 言われたんですよ。おじさんもべろんべろんだし、こりゃ 困ったぞ!
その時です. ママが スッと立って、
『お前みたいなのが 戦争に 行ったから 日本は 負けたんじゃ。もう 帰れ』と、
啖呵を切ったんですよ. かっこいいでしょ.
ママには 性根って、言うのを教わったのかもしれないです。


はたちに なるかならないかの頃 俺 芝居に足を突っ込んじゃて、こん時は 裏じゃなくて
役者でした。 おい! そこんところ、笑わないで!
で、《劇団洪洋社》リンクしてます。見てみてください。 当時の俺の写真も おまけでついて来ます.7本目「失われた都市の伝説」廃都伝序 と言うのが この時の芝居です.
で、この中に 書かれている、換気扇もない真夏の劇場内はまるで蒸し風呂で氷柱を置いても終演の頃には全く溶けていた。そんな中劇団メンバーが通っていた飲み屋のママがきっちり和服を着て現れ汗ひとつかくこともなく気丈として帰っていったのを思い出す。
このママが ハッピーのママです。かっこ良くて 渋くて 会ってみたくなるでしょ.
俺は 今もだけど、人に恵まれているんですね. ありがたい事です.


                 


                昨日のjalan-jalan

               “4850m”     “6200歩”

               かかってた曲  新井 英一さん

            ( 写真も 仕事場にて、撮らさせて 頂きました.)