会葬 御礼に代えて  11月 13日



 本日は お忙しい中  母 昌子のために お集まりいただき ありがとうございます。
本来ならば ここには 私 息子の道夫が 立つべき所でありますが、現在 闘病中の身であり
無菌室に居り 外出が出来かねます。 書面でお許しください。


母の病気は この春に見つかった 膀胱癌でした。
発見が遅れたためと 高齢の年齢を考え 放射線線治療で 癌を取れるだけ取ると言う治療を
7月までしました。 
それからは 家での闘病 そして 家族にとっては 介護の日々となりましたが、
意識のしっかりとした 母でしたので 私とは憎まれ口を利き合ったり、
相変わらずのにぎやかさで
仕事で日中は家を空ける私に変わって
介護にがんばって来たのは みさ子です。


そんな介護の最中 夏の検査では 肺と肝臓にも転移が見つかり、
私達 家族は覚悟もしておりました。
ところが そんな中 今度は私の病気が見つかり 
今回の帰らぬ母の入院の遠い原因になったと
心のどこかに 痛みを感じております。


生前の母は 40代までの教師生活でしたが 一生教師の様な人でした。
それも、子供に慕われる きっと 信頼された教師だったのでしょう。
今でも その当時の教え子から 宅急便が来たり 訪ねて来られる方があったり、
同級会等に呼んで頂いたりと
教師との縁の薄い私としては 信じられない様な生活を送らされて頂きました。
マサコ先生 マサコ先生と呼んで頂くのを無情の楽しみにしていたのではないかと思います
かなわぬ事では ありますが 私も一度 マサコ先生の生徒になってみたいと言う気もして参ります。


母 昌子は私の入院を知っており 入院の朝も 早く元気になって帰ってこいと言ってくれております。
きっと、ここに私が立たない事も 許してくれていると思います。


どうか皆様 この様に前途多難な我家に 
今後とも亡き母同様にご支援を賜ります様お願い申し上げます。
そして故人が生前に賜りましたご厚情に改めて御礼申し上げますとともに、
今後も変わらぬ ご指導をお願い申し上げまして ここには立てなかった不肖の息子の挨拶とさせて頂きます。

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みさ子へ ここからは 読まない所です。
あなたへ宛てています。 ご苦労様でした まだまだ、もう少しだから 気を強く持って
がんばって下さい。 母も感謝してるよ。 そして俺はお前を愛してる。

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  妻に 代読してもらいます。
  いろいろな方の手を借りて なんとか 葬儀を行う事が出来ました。
  

  母も 皆様の暖かいまなざしに 囲まれた私達家族を見て
  安心しているのではないかと思います。

  本当に ありがとうございます。