岩ケン 渡辺君のこと 12月 8日

 今日は ジョン・レノンの命日だけど、
この日は俺にとって 岩ケン 渡辺君 二人の命日だ。
二人は 中学の遊び仲間 そのまま 成人をしても ずっと 遊び仲間だった.
1980年の この日 二人は 大雪に埋まった 山で亡くなった.
俺も行く筈だったのだが、仕事が 休めずに行かなかったのだ.


 そんな二人の思い出を 今日 明日の二日にわたって 書かせて貰おうと思う。


 今でこそ そこら辺にいくらでも転がっている100円ライターだが、初期の物を覚えてる方はいらっしゃるだろうか?
俺達が中学の時に発売されたのは、一回火をつけると一定の時間 点いている物だった。
丸い本体の中には 水中花の様な物が 入っていて、煙草も吸わないくせに、物珍しさで、俺と渡辺君のポケットには 入っていたのである。


 ある日の、給食後の昼休み 俺達は 窓から顔を出し 外を眺めてながら,ライターをもてあそんでいた。 忘却の炎よ! 我らが贖罪を燃やしてたもれ〜 とか言っていたかどうかは定かではない。
その時である。二人とも 一気に首根っこを押さえられ、耳を引き立てられるウサギのように、ズルズルと引っ張って行かれた。行く先は 職員室だった。
真赤な顔をして 怒鳴る担任 お前ら〜 なにやってるんか分かってるのか〜
そうなのである。この半年前 我が母校は 放火されて 校舎の半分が焼け落ちている。
この職員室にしても 体育用具室を 片付けて使っているのだ.
コンコンと説教を受け 5時間目に入ると、正座させられて 反省文を書けと言う。


 俺は,書きましたよ.ライターで遊んだのはとかね。
ところが 渡辺君ですよ、彼は確信犯だったのか どうかは今は分からないけど、
『昨日 学校の帰りに 藤原君と 岩ケンと 照夫君の4人で 江刺屋で、肉まんを買って食べました。買い食いは行けないと思います。』
これを見た担任 ますます 火に油を注いだ状態ですよ.
これ以降 担任と渡辺君の中は まともになる事は無く そして 事件は 起って行く


 弁論大会があり、各クラスから 一人の代表が出る事になり、予選を行う日
俺だけが知っているのだが 渡辺君の書いて来たのは 拾って来た 少年サンデーか、マガジンの ショートショート を写して来たものだった。
これが、ロシアの潜水艦が ある日 自宅の水洗トイレから、潜望鏡を覗かせると言う
筒井康隆ばりの物語 受けたね〜 クラス中満場一致で 代表は 渡辺君
ところが 担任がまたまた 烈火の様に怒り 代表は違う奴の処へ
ま、渡辺君は、喜んでいたけどね.
 

 俺達の中に プログレッシブロックを 持ち込んだのも 渡辺君だったな〜
ある日 渡辺君の部屋で、ピンクフロイド 原子心母を 聞いていたときの事
ダダダ〜と 階段を駆け上がる足音が  お父さんが いきなり ドアを開けると
なにしたのや ステレオ 壊れたのか〜 と言う そりゃ〜バイクの音が 右から左に流れては いたけどね。
『これが神秘的な音楽て言うもんだ 良く覚えておけ』 これが渡辺君の答え方でした。
『馬鹿っこの〜 神秘的ツウのは、沢田研二見てな奴の事だ〜』 親父さんの答えでした。


 で、日を改めて 俺が また 渡辺君の部屋で遊んでいると、どうも お腹の調子が
渡辺君 腹いでや〜 トイレ 貸してくれ。  良いけど 学校で言うなよ 
うちのトイレ 変わってからよ〜  なんか意味深ですよね。
で、トイレに 行ってみると 大便所の方ですが、電気を付けると なんと、マッカッカ
深紅に染まってるんです。 なんで〜 上を見上げると 電球では無く コタツの赤外線ランプが。
どたどたと 部屋に戻り 渡辺君に何故と訊ねると 寒いのが嫌だって 親父が取り付けたって言うんですよ. 今 思えば ある意味 先取りしてる様な気もしますがね。


 ありゃりゃ 渡辺君だけで こんなに書いちゃった。
じゃ、明日は 岩ケンだね。 もし良かった お楽しみに。



       

                昨日のjalan-jalan

               “4590m”     “5880歩”

               かかってた曲  Alweys Chritmas

                ( 俺も.クリスマスの雰囲気だけでも)